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「娘の人生にいさせてくれてありがとう」と言われた日|ニュージーランドの幼稚園卒園

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こんにちは。ニュージーランドで5歳の娘を育てているAyakaです。

慣らし登校の3回目は、幼稚園の卒園日でした。

ニュージーランドでは、
5歳になれば、それぞれのタイミングで
小学校へ入学していきます。

日本のように、
みんなで一斉に迎える入学式や、
決まった卒園式はありません。

その代わりに、
それぞれの「卒園のタイミング」で、
個人に向けた小さなセレモニーを
幼稚園の時間の中で行ってくれます。

いつもの幼稚園に、
少しだけ違う空気。

園長先生から渡されたのは、

「がんばりました」とたくさんの文章が書かれた、A4サイズのシンプルな卒園証書。

いわゆる立派な賞状、というよりも、
とてもささやかなものです。

担当の先生からは、これまでの思い出(ラーニングストーリー)の振り返り。

※ラーニングストーリーについて書いた記事はこちら

事前に娘と一緒に、「どれをみんなに話したい?」と話しながら、
内容を決めてくれていたそうです。

そして最後に、
先生たち一人ひとりからのお別れの言葉。

その中で、とても印象に残っている言葉があります。


「Thank you for having us in her life」


直訳すると少し不思議な言い回しですが、

「娘の人生の中に、私たちをいさせてくれてありがとう」

そんな意味合いの言葉です。

幼稚園の先生たちは、
「先生」というよりも、もう一人の保護者のような距離感で、
日々を一緒に過ごしてくれていました。

ただ「子供を預かる」のではなく、
幼児であっても、一人の人として関わってくれていたことが、
この一言に詰まっているように感じます。

小学校への入学は、
ひとつの区切り。

もちろん、子育てはまだまだ続いていきますが、

気がつけば、
あっという間の5年でした。

親子留学や海外での子育てというと、

特別な経験のように見えるかもしれません。

でも実際は、

こうして日々を重ねて、
気づいたら節目を迎えている。

そんな時間の積み重ねなのだと思います。

制服姿で立つ娘を見ながら、

「ここからまた、新しい日常が始まるんだな」

と、少しだけ実感が湧いてきました。

その一歩を、

こんなふうに見送ってもらえたことに、

感謝しかありません。

思っていたより、ゆるく進んでいく入学準備③|ニュージーランドの小学校入学(慣らし登校編)

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

前回までは、思っていたよりゆるく進んでいった入学準備のお話を書きました。
今回は、その続き。いよいよ慣らし登校のことです。

娘の学校では、

  • 週1回・1時間の登校 × 3回
  • ただし3回目だけ2時間目まで

という流れでした。

幼稚園のお友達のママたちに聞いてみると、

「2日続けて2回で、午前中いっぱいだった」
「最後の日は1日まるごとだった」

など、本当に学校によってさまざまなようです。

そして、気になる初日。

以前から読んでくださっている方はご存知かもしれませんが、
娘は1歳から保育園、3歳から幼稚園に通っているにもかかわらず、

いまだに送りの時間になると、

「ママ行かないで」

と、しがみつくタイプです。

先生方にベリベリと剥がされながら登園する、
あのスタイルです。

なので、小学校はどうなることかと思っていました。

ところが、最初の2回は
保護者もその場にいてOKという形でした。

先生いわく、

「子どもの人数に対する大人の比率(ratio)に慣らし登校の子は含まれないので、付き添いが必要なんです」

とのこと。

あとから考えると、たしかにその通り。
(まぁそれも言われてはいなかったので、1時間カフェ行っちゃおうかな♪なんて思っていた私は涙目)

それもあってか、娘は思っていたより順調な滑り出しでした。

気になる授業の内容はというと、

先生が絵本を読んで、
そのストーリーに出てきた順番の並べ替えをしたり、

大きな数字板のようなものを使って、
1から20まで数えたり、
20から1まで戻ってみたり、
「8の次はなーんだ?」とやってみたり。

そして、プリントが終わった子から、
教室の空いているスペースで遊んでOK。

本があったり、
おもちゃがあったり、
先生が粘土を準備したり、

かなり幼稚園に近い雰囲気です。

でも、よく考えれば当然で。

だって、まだ5歳。

担任の先生も、

「この年齢の子どもたちの集中力は10分が限界。
座って何かをする時間も、それくらいが目安です」

と話していました。

だから、学ぶ時間と遊ぶ時間が自然に混ざっている。

そして、

「まずは学校って楽しい場所なんだ、と感じてもらえれば十分です」

という言葉が、とても印象に残っています。


ちなみに、担任の先生は幼児教育(ECE:Early Childhood Education)のバックグラウンドがある先生でした。

ニュージーランドでは、低学年の子どもたちに対して、
“まだ幼児期からの延長線上にある”という視点が、かなり自然に共有されているように感じます。

学校だからといって、いきなりビシッと厳しく切り替えるのではなく、
子どもの発達段階に合わせながら、少しずつ学校生活へ移っていくような印象です。


最後の慣らし登校では、
保護者は教室を離れてOKになりました。

何をしていたのか詳しくは分かりませんが、
帰ってきた娘の様子を見ると、
アルファベットやフォニックスの練習をしていたようです。

そして、前回少し書いた文房具の話。

それぞれ購入したものを持参すると、

ノートやファイルなどは個人用として先生が名前をつけて管理。(大感謝)

鉛筆、色鉛筆、のりなどは、
なんとクラスでシェア。

なるほど、そういうスタイルなんだ。

と、ちょっと新鮮でした。

日本のように、

筆箱を毎日持って行って、
持って帰って、
中身を確認して…

という流れがないのは、
個人的にはかなり楽です。

そんなこんなで、
慣らし登校はあっという間に終了。

慣らし登校はスクールホリデー前に終了したので、
その後ホリデー2週間をはさみ、
新学期からいよいよフル登校です。

2週間も空いたら、
せっかく慣れた気持ちがリセットされないかな…

そんな心配も、少しあります。

でも、きっとそれも含めて、
少しずつ進んでいくのでしょう。

その前に、次は幼稚園の卒園です。

まだ小学校は始まっていないのに、

もうひとつの区切りが、
すぐそこまで来ています。

思っていたより、ゆるく進んでいく入学準備②|ニュージーランドの小学校入学(持ち物と説明会編)

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

今回は、入学に向けた持ち物などの準備や、保護者説明会で言われた印象的なことについて。

正直に言うと、

思っていたより、
やることは多くありませんでした。

というよりも、

「細かく指示されないまま、なんとなく進んでいく」

という感覚の方が近いかもしれません。

学校から言われたのは、

「文房具セットを用意してね」

ということだけ。

それも、学校指定のものがあり、
ウェブサイトからそのまま注文するだけで完了しました。

中身は、鉛筆やノート、色鉛筆など、
ごく一般的なものばかり。

「3回目の慣らし登校の時に持ってきてね」
「それまでに間に合うように買ってね」
「開けないでね」

とだけ言われて、

理由は分からないまま、
とりあえずその通りに準備を進めます。

制服も同じような流れで、

一応指定はあるものの、細かいガイドがあるわけではなく、
これでいいのかな?いいよね?と思いながら
必要なものをそれぞれ揃えていく感じ。

全体を通して、

「これをこうして、次にこれをやって…」

と順番が決まっているというよりも、

「その時に必要なことを、少しずつ」
「学校の決まりを守ることはもちろん重要、でもそれは子どもの健康と安全のためにあるもの」

そんな進み方でした。

慣らし登校の前には、
保護者向けの説明会もありました。

小学校に入るとどんな生活になるのか、
学校として大切にしていることなどの説明がありましたが、

一番印象に残ったのは、先生の言葉でした。

「’学校に入る’ということで、
身構えてしまうかもしれませんが、

子どもたちはまだ発達の途中です。

手を使うことも、
字を書くことも、

体のつくりとして、
まだ上手にできなくて当たり前。
(手の骨の数が大人よりもまだ少ないんだとか。私は知りませんでした)

できたかどうかよりも、
トライしたことを認めてあげてほしい」

と、穏やかに話されていたのが、
とても印象的でした。

“できること”よりも、どんな姿勢で学ぶか。
そんなことを大切にしているのが伝わってきます。

日本との大きな違いとして感じたのは、
給食がないこと。

その代わりに、

・ブレインフード
・モーニングティー
・ランチ

を持たせる必要があります。

いわゆる、軽食とおやつとお昼ごはん。

日本の給食制度を知っている身としては、毎日準備するのはなかなか受け入れ難く…(涙)

これはもう、
少しずつ慣れていくしかなさそうです。

学校からの案内も、

「制服を用意してね」
「食事を持たせてね」

という、シンプルなもの。

細かく決められていない分、少し戸惑うこともありますが、

同時に、

「これでいいのかな」と思いながらでも、
そのまま進めていける、そんな余白も感じています。

親子留学や海外での学校生活というと、
準備が大変そうに感じることもあると思いますが、

少なくとも今のところは、

完璧に揃えなくても、
なんとか進んでいく。

そんな感覚は相変わらず続いています。


そして、

「開けないでね」と言われた文房具の行き先は、

次回の慣らし登校で、
ようやく分かることになりそうです。

その様子もまた、
書いてみようと思います。

思っていたより、ゆるく進んでいく入学準備①|ニュージーランドの小学校入学(書類手続き編)

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

今日は、入学に向けた準備の話を振り返ってみようと思います。

まず最初にやったのは、入学の申し込み。

とりあえずメールをしてみる。
……返事は来ない。

もう一度送る。
……やっぱり来ない。

ということで、最終的には、
「もう持っていこう」
となり、書類をプリントアウトして、直接学校の事務室へ。

結果、5分で終わりました。

その後は、しばらく何の連絡もなく。

こちらから「一応確認なんですが…」とメールをすると、
「(娘)は誕生日の関係で、ターム2からだよ!」
と、あっさり返信。

なるほど、オッケー。

と思っていたら、

その数日後に、「ターム1からの入学について」というメールが届きます。

慣らし保育ならぬ、慣らし入学のスケジュール付き。
しかも開始日は、メール受信の翌週。

え?ええ?EEE?

でも、なんとか予定を調整して、
「大丈夫です」と返信。

するとすぐに、

「ごめん、間違えた。(娘)はターム2からで大丈夫」

と連絡がきて、ここまでで、なんだか一気に疲れました。

が、しかし、こういうところも含めて、この国らしいなと感じます。

入学にあたり提出する書類はいくつかありましたが、

中でも印象に残っているのが、
「健康面」と「発達面」についての項目です。

発達面については、
できる・できないことが良い・悪いという評価ではなく、
「今どんな状態なのかを、学校が知るためのもの」という印象でした。

何が得意で、
何が苦手で、
どんなことが好きで、
どんな時にサポートがあると安心するのか。

特別に良く見せる必要もなく、
かといって構える必要もなく、
ただそのままを書いていくだけ。

ニュージーランドでは、基本的にすべての子どもが同じ教室で学びます。

それは幼稚園の時から始まっていて、
それぞれのペースや個性を尊重した環境の中で、
日々を過ごします。

すべてがきっちり整っているわけではないけれど、
その分、自分も常に完璧じゃなくてもいい。

そんな前提で進んでいくような安心感があります。

ここまでが書類の手続き。
実際の、物の準備や慣らし入学については、また次回で書いてみますね。

4歳半になった頃から、幼稚園で読み書きの練習が本格的に始まりました。
家に持ち帰ってくるので、復習は親がみます。

ママ友との距離が少しずつ近くなってきた|ニュージーランドのスクールホリデー

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

早くもTerm 1が終わり
スクールホリデーが始まりました。

2週間。

母たちの間ではわりと本気で言われている、
“地獄の2週間”です。

正直に言うと、今回はちょっと出遅れました。

「キンディのホリデープログラム、申し込もうかな…」
と頭をよぎったものの、

なんだか仕事も普段の生活もバタバタで、
考える余裕もなく、

気づいたら、ホリデーに突入していました。
(自分の大馬鹿…と思ったのはここだけの話です)

飛行機ごっこ。お客様0人。

とはいえありがたいことに、
お友達とのプレイデートや、
モールでやっているホリデープログラムなどで、
気づけば予定がぽつぽつと埋まってきていて、
なんとかこの2週間、乗り切れそうな気がしています。

もともと私は、かなりのインドアタイプです。
何もないと、ずーっと家にこもっていても平気です。

いわゆるINFPで、自他ともに認める“究極のI”。

だからこそ最初は、
「ママ友と会う(しかも英語)」ということ自体が、
なかなかのハードルでした。

英語でちゃんと話さなきゃ。
失礼なこと言ったらどうしよう。
沈黙になったらどうしよう。

そんなことを考えているうちに、

「じゃあ最初から行かなければいいか」

と、自分でチャンスを閉じてしまっていたこともあります。

でも最近は、
少しだけ感覚が変わってきました。

いい意味で、力が抜けてきたというか。

「まぁいいか」
「なんとかなるでしょ」
「伝わらなかったら、もう一回言えばいいか」

そんなふうに思えるようになってきて、

完璧にやろうとしていた頃よりも、
ずっと楽に、人と関われるようになった気がします。

年齢を重ねて図太くなった、
というのもあると思いますが、

それだけじゃなくて、
この国の空気も大きいのかもしれません。

多少言葉がつたなくても、
会話がちょっと止まっても、

それを気にしすぎる人が、あまりいない。

“ちゃんとしているか”よりも、
“そこにいるかどうか”の方が大事にされているような、

そんな感覚があります。

思い返してみると、

言葉に詰まって、
「あ、気まずいかも」と感じていたあの感じは、

英語(言語)ができないから、というよりも、
ただ単純に、まだ関わる時間が少なくて、
お互いに少しよそよそしかっただけなのかもしれません。

最初はやっぱり緊張しながらでしたが、

同じ人と、少しずつでも何度も会って、
同じ時間を重ねていくうちに、
その“気まずさ”みたいなものは、
気づいたらほとんど感じなくなっていました。

うまく話そうとしなくても、
なんとなく通じるようになって、
言葉よりも、空気や関係の方が先に近くなっていくような感覚。

まだまだ、完璧とは程遠いけれど。

それでも今は、ここでの暮らしが楽しくなってきています。

お客様2人、パイロット0

少しずつ、”ここで暮らす”ということ|ニュージーランドでの子育て

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

幼稚園のお迎えの時間。

先生と軽く言葉を交わして、
娘が走ってきて、
そのまま仲良しのお友達と合流して、
気がつくとママ同士で世間話が始まっています。

子どもたちは、お互いにお友達の名前を呼びながら遊んでいます。

私も同じように言っているつもりでも、
「それ違う!」と何度も発音を直されて、
最後まで合格はもらえなかったり。(トホホ…)

15時に幼稚園が終わり、ママ同士で盛り上がった日は
そのまま近くのビーチや公園へ行ったりします。
(海の近くに住む者たちとして、海グッズは常に車に積んでいます)

「ちょっとだけ」と言いながら、
気がつけばしばらくそこで過ごして、
子どもたちは水に入ったり、砂で遊んだり、走り回ったり、
好きなように時間を使っています。

大人は少し離れたところで見守りながら、
またゆるく会話を続けている。

そんな午後の過ごし方が、
いつの間にか当たり前になっていました。

こういう時間を過ごしていると、
ふと、「ここで暮らしているんだな」と感じる瞬間があります。

最初から、こうだったわけではありません。

何をどうすればいいのか分からなかったり、
小さなことで戸惑ったり、
「これで合っているのかな」と思いながら進んできました。

特別なことをしたというよりは、
目の前にあることを一つずつ選んで、
その都度、なんとかかんとかやってきただけ。

娘が描いた、幼虫から蝶になるまでの絵。

順番に並んだその変化を見ていると、
「変わる」ということは、
一気に起きるものではないのだな、と感じます。

動いているように見えない時間も、
きっとその一部で、その先につながっている。

今の生活も、その途中なのかもしれません。

親子留学や海外での生活というと、
どこか遠くて特別なもののように感じるかもしれませんが、

実際は、こうした何気ないやりとりや、
少しずつ慣れていく時間の積み重ねの中に、
静かに形になっていくものなのだと思います。

まだ分からないこともありますし、
これからも迷うことはきっとあります。

それでもこうして子どもと一緒に過ごす日々の中で、
気づけば少しずつ、この場所が“自分たちの生活”になっている。

そんな変化に気づくたびに、
無理に頑張らなくても、
ちゃんとここまで来ていたんだなと、
静かに思える瞬間があります。

ニュージーランドで迎える、少し特別な誕生日のかたち | 5歳のお誕生日会

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

先日、娘が5歳の誕生日を迎えました。

5歳の誕生日を迎えると小学校に入学ができるNZでは、かなり特別な誕生日。

なので、私たちも少し特別な形で。

少し都会から離れたプレイセンターを貸し切り、ニュージーランドらしい、ゆったりとした空間の中で
お友達を招いてバースデーパーティーを開きました。

室内は大きな窓から柔らかい光が入り、
外には緑が広がる、開放感のある空間です。
整えすぎない、でもどこか満たされている。
そんな、この国らしい心地よさがありました。

このピニャータは母の手作り。ブルーイのエピソードの一つKeepy Uppyから。

今回大切にしたのは、「特別な一日にすること」

そしてその“特別”は、大人がつくるものではなく、
娘が「やりたい」と思うことを、すべて叶えることでした。

娘がリクエストしたのは、フェイスペイントと、ピニャータ。

カラフルな絵の具で顔にペイントをしてもらい、
鏡を見て嬉しそうに笑う姿。

そして、吊るされたピニャータを順番に叩いて割る、あの少しだけドキドキする時間。

中からお菓子や小さなおもちゃがこぼれ落ちた瞬間、
子どもたちの歓声が一気に広がりました。

今回は、いわゆる「シンプルなパーティー」ではなく、
やりたいことをすべて詰め込んだ一日。

でも同時に、もうひとつ大事にしたことがありました。

それは、できるだけ“制限をつくらない”こと。

時間の区切りも最小限に、
「これはダメ」「触らないで」などというルールも設けずに、
子どもたちが自分で遊びを選び、
自由に過ごせる時間を大切にしました。

そして、大人たちもまた同じように。

気づけば、あちこちで小さな輪ができて、
井戸端会議のように、思い思いに会話が広がっていく。

誰かに合わせるでもなく、
無理に場を回すでもなく、
それぞれが心地よい距離感で過ごしている時間が、
とても印象的でした。

「参加した全員にとって、特別な時間になったらいいな」

そんなふうに思いながら準備していたのですが、
その願いは、ちゃんと届いていたようで。

週明け、幼稚園で会ったママたちが口を揃えて

「すっごくよかった」
「あの場所どうやって見つけたの?」
「うちの子初めてのバースデーパーティーだったけど、ずっと“楽しかった”って話してるよ」
「ケーキすっごく美味しかったんだけど、どこのお店で買ったの?」

などと声をかけてくれました。
(ケーキは日本人パティシエさんにお願いしました!)

その言葉を聞いたとき、
「ああ、やってよかったな」と、素直に思えました。

特別な装飾や演出がなくても、
高価な何かがあるわけでもなくても、

空間と時間の使い方ひとつで、
人の記憶に残る一日はつくれる。

ニュージーランドでの子育ては、
どこか余白があり、無理がありません。

その余白があるからこそ、
子どもも大人も、それぞれの形で満たされる時間が生まれる。

今回のバースデーパーティーは、
そんなこの国らしさを感じる一日でした。

そして何より、
「やりたい」をすべて叶えられた、5歳の誕生日。

きっとこの先も、
ふとした瞬間に思い出す、特別な一日になるのだと思います。

英語が完璧じゃなくても|ニュージーランドでの子育て

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こんにちは。現在幼稚園に通う4歳の娘を育てているAyakaです。

この挨拶が変わる日が来ました。
そう、娘が5歳になりました。

ニュージーランドで5歳の誕生日は、小学校入学となる特別な年齢。

外に公園がある建物を借りて、
幼稚園のお友達を呼んで、
ケーキを用意してお祝いをしました。
(詳しくはまた後日)

3〜4歳くらいからお友達を呼ぶお祝いは一般的なのですが、
これまでなかなか一歩が踏み出せませんでした。

理由のひとつは、
「幼稚園のお友達を呼ぶ=ママたちとの交流がある」ということ。

どうしても、ちゃんと準備しなきゃ、という気持ちや
特に、「ちゃんと英語を話さなきゃ」
という気持ちが先に立ってしまって、
どこか気が重く感じていました。

振り返ってみると、
あえてではないけれど、
なんとなく周りのママたちとの交流を
避けていた部分もあったように思います。

生活に困らないくらいの英語は話せるようになっても、
「ちゃんと話せているか」と考えてしまったり、
自分の言い方が正しいのか気になったり。

自信がないというか、
自己肯定感の問題というか、
積極的に話しかけにいくことは、
今でも少しハードルが高いままです。

それでも今回、
思い切ってパーティーを開いてみました。

準備をして、
当日を迎えて、
子どもたちはあっという間に打ち解けて、
それぞれ好きなように遊び始めました。

ママたちも自然に集まって、
用意した飲み物や軽食を食べたり飲んだりしながら、
その場の流れで会話が始まっていきます。

最初は少し緊張していましたが、
気がつけば、
完璧な英語で話そうとしていた自分が
少しずついなくなっていました。

伝えたいことがあれば、
少し言葉が足りなくても、
ゆっくりでも、
なんとなく伝わっていく。

相手も、
それを当たり前のように受け取ってくれる。

その空気に、
少し救われたような気がしました。

そして何より、いろいろな国籍・出身地が集まった
子どもたちは、そんなことをまったく気にしていません。

英語がどうとか、
言い方がどうとかではなく、
ただ一緒に遊んで、笑って、
楽しい時間を過ごしていました。

ニュージーランドで子どもと暮らしていると、
こういう場面に何度も出会います。

「英語、大丈夫かな」と思っているのは、
たいてい親の方で、
子どもはその少し先を、軽やかに進んでいる。

今回のパーティーも、
終わってみれば、
「ちゃんとできたかどうか」よりも、
「楽しい時間だったかどうか」だけが残っていました。

まだ、積極的に話しかけにいけるタイプではありませんし、
これからも同じように迷うことはあると思います。

それでも、
完璧じゃなくても大丈夫な場所で、
少しずつ慣れていけばいいのかな、と
今は思っています。

うまくできなくても大丈夫|「完璧にやりたい」と言う娘と、私が伝えたいこと

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こんにちは。現在幼稚園に通う4歳の娘を育てているAyakaです。

最近、娘の口癖があります。

「完璧にやりたい」

何かを始める前や、途中でうまくいかなくなった時に、
ふと出てくる言葉です。

もちろん、私も、幼稚園の先生も、
「完璧じゃなくて大丈夫だよ」
「失敗してもいいんだよ」
と繰り返し伝えています。

でも、どうやらそれだけではないようで。

お友達の中に、
「I want to be perfect!」とよく言う子がいて、
その影響もある様子。

少しでも思い通りにいかないと、
「もう二度とやらない」
「私は上手じゃない」
と、そのまま手を止めてしまうこともあります。

その様子を見ていると、
どう声をかけたらいいのか、
少し迷うこともあります。

娘が好きなアニメの中に、こんな歌があります。

「おっと、って失敗してもオッケー」
「みんな最初は上手くない、最初からパーフェクトは無理だよ」

何気なく流れている歌ですが、
今の娘にはちょうどいい言葉だなと思いながら、
「完璧に出来ない」と娘が怒っている時には、口ずさんでいます。

ニュージーランドで子どもと暮らしていると、
「できるかどうか」よりも、
「やってみること」や「続けること」が
大切にされている場面が多いように感じます。

うまくできなくても、
途中で止まってしまっても、
それを強く否定されることはあまりありません。

その空気に、
親の私の方が少し救われているのかもしれません。

子どもに「大丈夫だよ」と言いながら、
自分自身はどうだっただろう、と考えることがあります。

ちゃんとできているか、
周りと比べてどうか、
もっと上手くやらなければ、と。

それは今の暮らしの中でも、完全には手放せていないというか、
母になった今でも、日常の節々でなぜか自分に課していたりするように思います。

子どもは、
言葉で教えられることよりも、
日々の空気や、周りの大人の姿から、
少しずつ受け取っていくのだと思います。

だからこそ、
「完璧じゃなくてもいい」と伝えることと同じくらい、
そうやって過ごしている姿を見せることも、
大切なのかもしれません。

うまくできなくても、
そのままで大丈夫。

簡単なようで、
大人にとっても、なかなか難しいことですが、
ここでの暮らしの中で、
少しずつ、そう思える場面が増えてきたように感じます。

娘がこの先、どんなふうに変わっていくのかは分かりませんが、
少なくとも今は、
「できないことがあってもいい」と思える場所で過ごせること。
そんな環境を作るのも、親の役割なのかもしれません。

そう思いながら、今日もまた、同じことを繰り返し伝えています。

子どもの方が先に慣れていくのかもしれない|ニュージーランドで迎える入学前

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こんにちは。現在幼稚園に通う4歳の娘を育てているAyakaです。

娘は4月からNZの小学校に入学します。

最近はその準備で、なんだか家の中が少しバタバタしています。

制服を買ったり、
指定の靴を用意したり、
文房具を注文したり、
入学前説明会に参加したり。

でも、物の準備はまだいいのです。
少し忙しくても、やれば終わることだから。

問題は、もっと目に見えない部分。

新しい環境に、慣れることができるのか。

娘は、幼稚園の送りでもいまだに
「マミー行かないで」と
ドラマのワンシーンのようにしがみついてくるタイプです。

小学校は、幼稚園のように手厚いケアはありません。
一人の先生が見る生徒の人数も増えます。
(それが学校というもので、当たり前だと思っています)

今月から、入学前の訪問、
いわゆる“慣らし”のような時間が始まります。

教室を見たり、先生に会ったり、
少しずつ環境に慣れていくための時間。

その日が近づくにつれて、
私の方が少し落ち着かない気持ちになっています。

でも、こういう時に思い出して心の支えになっているのが、
先輩ママさん達や幼稚園の先生に言われているこの言葉です。

「子どもの方が順応が早い」

もしかしたら、
これは親が心配しているだけで、
子どもの方が先に慣れていくのかもしれない。

友達を見つけたり、
新しい遊びを覚えたり、
いつの間にかその場所を
自分の居場所にしてしまうのかもしれません。

「大丈夫かな」と思っているのは、
たいてい親の方で、
子どもはその少し先を歩いている。

そして、
親はその後ろから、
ゆっくり追いついていく。


まだ始まっていないことを心配しても、
仕方がないのかもしれません。

そう思いながらも、
やっぱり少し(いや、かなり?)心配です。

言葉も、友達も、文化も。
大人が心配していることほど、
子どもは案外すっと受け入れる。

そうであって欲しいな、と願いつつ
母は今日もソワソワと、入学に向けて心の準備をしています。