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思っていたより、ゆるく進んでいく入学準備|ニュージーランドの小学校

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

今日は、入学に向けた準備の話を振り返ってみようと思います。

まず最初にやったのは、入学の申し込み。

とりあえずメールをしてみる。
……返事は来ない。

もう一度送る。
……やっぱり来ない。

ということで、最終的には、
「もう持っていこう」
となり、書類をプリントアウトして、直接学校の事務室へ。

結果、5分で終わりました。

その後は、しばらく何の連絡もなく。

こちらから「一応確認なんですが…」とメールをすると、
「(娘)は誕生日の関係で、ターム2からだよ!」
と、あっさり返信。

なるほど、オッケー。

と思っていたら、

その数日後に、「ターム1からの入学について」というメールが届きます。

慣らし保育ならぬ、慣らし入学のスケジュール付き。
しかも開始日は、メール受信の翌週。

え?ええ?EEE?

でも、なんとか予定を調整して、
「大丈夫です」と返信。

するとすぐに、

「ごめん、間違えた。(娘)はターム2からで大丈夫」

と連絡がきて、ここまでで、なんだか一気に疲れました。

が、しかし、こういうところも含めて、この国らしいなと感じます。

入学にあたり提出する書類はいくつかありましたが、

中でも印象に残っているのが、
「健康面」と「発達面」についての項目です。

発達面については、
できる・できないことが良い・悪いという評価ではなく、
「今どんな状態なのかを、学校が知るためのもの」という印象でした。

何が得意で、
何が苦手で、
どんなことが好きで、
どんな時にサポートがあると安心するのか。

特別に良く見せる必要もなく、
かといって構える必要もなく、
ただそのままを書いていくだけ。

ニュージーランドでは、基本的にすべての子どもが同じ教室で学びます。

それは幼稚園の時から始まっていて、
それぞれのペースや個性を尊重した環境の中で、
日々を過ごします。

すべてがきっちり整っているわけではないけれど、
その分、自分も常に完璧じゃなくてもいい。

そんな前提で進んでいくような安心感があります。

ここまでが書類の手続き。
実際の、物の準備や慣らし入学については、また次回で書いてみますね。

4歳半になった頃から、幼稚園で読み書きの練習が本格的に始まりました。
家に持ち帰ってくるので、復習は親がみます。

ママ友との距離が少しずつ近くなってきた|ニュージーランドのスクールホリデー

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

早くもTerm 1が終わり
スクールホリデーが始まりました。

2週間。

母たちの間ではわりと本気で言われている、
“地獄の2週間”です。

正直に言うと、今回はちょっと出遅れました。

「キンディのホリデープログラム、申し込もうかな…」
と頭をよぎったものの、

なんだか仕事も普段の生活もバタバタで、
考える余裕もなく、

気づいたら、ホリデーに突入していました。
(自分の大馬鹿…と思ったのはここだけの話です)

飛行機ごっこ。お客様0人。

とはいえありがたいことに、
お友達とのプレイデートや、
モールでやっているホリデープログラムなどで、
気づけば予定がぽつぽつと埋まってきていて、
なんとかこの2週間、乗り切れそうな気がしています。

もともと私は、かなりのインドアタイプです。
何もないと、ずーっと家にこもっていても平気です。

いわゆるINFPで、自他ともに認める“究極のI”。

だからこそ最初は、
「ママ友と会う(しかも英語)」ということ自体が、
なかなかのハードルでした。

英語でちゃんと話さなきゃ。
失礼なこと言ったらどうしよう。
沈黙になったらどうしよう。

そんなことを考えているうちに、

「じゃあ最初から行かなければいいか」

と、自分でチャンスを閉じてしまっていたこともあります。

でも最近は、
少しだけ感覚が変わってきました。

いい意味で、力が抜けてきたというか。

「まぁいいか」
「なんとかなるでしょ」
「伝わらなかったら、もう一回言えばいいか」

そんなふうに思えるようになってきて、

完璧にやろうとしていた頃よりも、
ずっと楽に、人と関われるようになった気がします。

年齢を重ねて図太くなった、
というのもあると思いますが、

それだけじゃなくて、
この国の空気も大きいのかもしれません。

多少言葉がつたなくても、
会話がちょっと止まっても、

それを気にしすぎる人が、あまりいない。

“ちゃんとしているか”よりも、
“そこにいるかどうか”の方が大事にされているような、

そんな感覚があります。

思い返してみると、

言葉に詰まって、
「あ、気まずいかも」と感じていたあの感じは、

英語(言語)ができないから、というよりも、
ただ単純に、まだ関わる時間が少なくて、
お互いに少しよそよそしかっただけなのかもしれません。

最初はやっぱり緊張しながらでしたが、

同じ人と、少しずつでも何度も会って、
同じ時間を重ねていくうちに、
その“気まずさ”みたいなものは、
気づいたらほとんど感じなくなっていました。

うまく話そうとしなくても、
なんとなく通じるようになって、
言葉よりも、空気や関係の方が先に近くなっていくような感覚。

まだまだ、完璧とは程遠いけれど。

それでも今は、ここでの暮らしが楽しくなってきています。

お客様2人、パイロット0

少しずつ、”ここで暮らす”ということ|ニュージーランドでの子育て

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

幼稚園のお迎えの時間。

先生と軽く言葉を交わして、
娘が走ってきて、
そのまま仲良しのお友達と合流して、
気がつくとママ同士で世間話が始まっています。

子どもたちは、お互いにお友達の名前を呼びながら遊んでいます。

私も同じように言っているつもりでも、
「それ違う!」と何度も発音を直されて、
最後まで合格はもらえなかったり。(トホホ…)

15時に幼稚園が終わり、ママ同士で盛り上がった日は
そのまま近くのビーチや公園へ行ったりします。
(海の近くに住む者たちとして、海グッズは常に車に積んでいます)

「ちょっとだけ」と言いながら、
気がつけばしばらくそこで過ごして、
子どもたちは水に入ったり、砂で遊んだり、走り回ったり、
好きなように時間を使っています。

大人は少し離れたところで見守りながら、
またゆるく会話を続けている。

そんな午後の過ごし方が、
いつの間にか当たり前になっていました。

こういう時間を過ごしていると、
ふと、「ここで暮らしているんだな」と感じる瞬間があります。

最初から、こうだったわけではありません。

何をどうすればいいのか分からなかったり、
小さなことで戸惑ったり、
「これで合っているのかな」と思いながら進んできました。

特別なことをしたというよりは、
目の前にあることを一つずつ選んで、
その都度、なんとかかんとかやってきただけ。

娘が描いた、幼虫から蝶になるまでの絵。

順番に並んだその変化を見ていると、
「変わる」ということは、
一気に起きるものではないのだな、と感じます。

動いているように見えない時間も、
きっとその一部で、その先につながっている。

今の生活も、その途中なのかもしれません。

親子留学や海外での生活というと、
どこか遠くて特別なもののように感じるかもしれませんが、

実際は、こうした何気ないやりとりや、
少しずつ慣れていく時間の積み重ねの中に、
静かに形になっていくものなのだと思います。

まだ分からないこともありますし、
これからも迷うことはきっとあります。

それでもこうして子どもと一緒に過ごす日々の中で、
気づけば少しずつ、この場所が“自分たちの生活”になっている。

そんな変化に気づくたびに、
無理に頑張らなくても、
ちゃんとここまで来ていたんだなと、
静かに思える瞬間があります。

ニュージーランドで迎える、少し特別な誕生日のかたち | 5歳のお誕生日会

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

先日、娘が5歳の誕生日を迎えました。

5歳の誕生日を迎えると小学校に入学ができるNZでは、かなり特別な誕生日。

なので、私たちも少し特別な形で。

少し都会から離れたプレイセンターを貸し切り、ニュージーランドらしい、ゆったりとした空間の中で
お友達を招いてバースデーパーティーを開きました。

室内は大きな窓から柔らかい光が入り、
外には緑が広がる、開放感のある空間です。
整えすぎない、でもどこか満たされている。
そんな、この国らしい心地よさがありました。

このピニャータは母の手作り。ブルーイのエピソードの一つKeepy Uppyから。

今回大切にしたのは、「特別な一日にすること」

そしてその“特別”は、大人がつくるものではなく、
娘が「やりたい」と思うことを、すべて叶えることでした。

娘がリクエストしたのは、フェイスペイントと、ピニャータ。

カラフルな絵の具で顔にペイントをしてもらい、
鏡を見て嬉しそうに笑う姿。

そして、吊るされたピニャータを順番に叩いて割る、あの少しだけドキドキする時間。

中からお菓子や小さなおもちゃがこぼれ落ちた瞬間、
子どもたちの歓声が一気に広がりました。

今回は、いわゆる「シンプルなパーティー」ではなく、
やりたいことをすべて詰め込んだ一日。

でも同時に、もうひとつ大事にしたことがありました。

それは、できるだけ“制限をつくらない”こと。

時間の区切りも最小限に、
「これはダメ」「触らないで」などというルールも設けずに、
子どもたちが自分で遊びを選び、
自由に過ごせる時間を大切にしました。

そして、大人たちもまた同じように。

気づけば、あちこちで小さな輪ができて、
井戸端会議のように、思い思いに会話が広がっていく。

誰かに合わせるでもなく、
無理に場を回すでもなく、
それぞれが心地よい距離感で過ごしている時間が、
とても印象的でした。

「参加した全員にとって、特別な時間になったらいいな」

そんなふうに思いながら準備していたのですが、
その願いは、ちゃんと届いていたようで。

週明け、幼稚園で会ったママたちが口を揃えて

「すっごくよかった」
「あの場所どうやって見つけたの?」
「うちの子初めてのバースデーパーティーだったけど、ずっと“楽しかった”って話してるよ」
「ケーキすっごく美味しかったんだけど、どこのお店で買ったの?」

などと声をかけてくれました。
(ケーキは日本人パティシエさんにお願いしました!)

その言葉を聞いたとき、
「ああ、やってよかったな」と、素直に思えました。

特別な装飾や演出がなくても、
高価な何かがあるわけでもなくても、

空間と時間の使い方ひとつで、
人の記憶に残る一日はつくれる。

ニュージーランドでの子育ては、
どこか余白があり、無理がありません。

その余白があるからこそ、
子どもも大人も、それぞれの形で満たされる時間が生まれる。

今回のバースデーパーティーは、
そんなこの国らしさを感じる一日でした。

そして何より、
「やりたい」をすべて叶えられた、5歳の誕生日。

きっとこの先も、
ふとした瞬間に思い出す、特別な一日になるのだと思います。

英語が完璧じゃなくても|ニュージーランドでの子育て

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こんにちは。現在幼稚園に通う4歳の娘を育てているAyakaです。

この挨拶が変わる日が来ました。
そう、娘が5歳になりました。

ニュージーランドで5歳の誕生日は、小学校入学となる特別な年齢。

外に公園がある建物を借りて、
幼稚園のお友達を呼んで、
ケーキを用意してお祝いをしました。
(詳しくはまた後日)

3〜4歳くらいからお友達を呼ぶお祝いは一般的なのですが、
これまでなかなか一歩が踏み出せませんでした。

理由のひとつは、
「幼稚園のお友達を呼ぶ=ママたちとの交流がある」ということ。

どうしても、ちゃんと準備しなきゃ、という気持ちや
特に、「ちゃんと英語を話さなきゃ」
という気持ちが先に立ってしまって、
どこか気が重く感じていました。

振り返ってみると、
あえてではないけれど、
なんとなく周りのママたちとの交流を
避けていた部分もあったように思います。

生活に困らないくらいの英語は話せるようになっても、
「ちゃんと話せているか」と考えてしまったり、
自分の言い方が正しいのか気になったり。

自信がないというか、
自己肯定感の問題というか、
積極的に話しかけにいくことは、
今でも少しハードルが高いままです。

それでも今回、
思い切ってパーティーを開いてみました。

準備をして、
当日を迎えて、
子どもたちはあっという間に打ち解けて、
それぞれ好きなように遊び始めました。

ママたちも自然に集まって、
用意した飲み物や軽食を食べたり飲んだりしながら、
その場の流れで会話が始まっていきます。

最初は少し緊張していましたが、
気がつけば、
完璧な英語で話そうとしていた自分が
少しずついなくなっていました。

伝えたいことがあれば、
少し言葉が足りなくても、
ゆっくりでも、
なんとなく伝わっていく。

相手も、
それを当たり前のように受け取ってくれる。

その空気に、
少し救われたような気がしました。

そして何より、いろいろな国籍・出身地が集まった
子どもたちは、そんなことをまったく気にしていません。

英語がどうとか、
言い方がどうとかではなく、
ただ一緒に遊んで、笑って、
楽しい時間を過ごしていました。

ニュージーランドで子どもと暮らしていると、
こういう場面に何度も出会います。

「英語、大丈夫かな」と思っているのは、
たいてい親の方で、
子どもはその少し先を、軽やかに進んでいる。

今回のパーティーも、
終わってみれば、
「ちゃんとできたかどうか」よりも、
「楽しい時間だったかどうか」だけが残っていました。

まだ、積極的に話しかけにいけるタイプではありませんし、
これからも同じように迷うことはあると思います。

それでも、
完璧じゃなくても大丈夫な場所で、
少しずつ慣れていけばいいのかな、と
今は思っています。

うまくできなくても大丈夫|「完璧にやりたい」と言う娘と、私が伝えたいこと

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こんにちは。現在幼稚園に通う4歳の娘を育てているAyakaです。

最近、娘の口癖があります。

「完璧にやりたい」

何かを始める前や、途中でうまくいかなくなった時に、
ふと出てくる言葉です。

もちろん、私も、幼稚園の先生も、
「完璧じゃなくて大丈夫だよ」
「失敗してもいいんだよ」
と繰り返し伝えています。

でも、どうやらそれだけではないようで。

お友達の中に、
「I want to be perfect!」とよく言う子がいて、
その影響もある様子。

少しでも思い通りにいかないと、
「もう二度とやらない」
「私は上手じゃない」
と、そのまま手を止めてしまうこともあります。

その様子を見ていると、
どう声をかけたらいいのか、
少し迷うこともあります。

娘が好きなアニメの中に、こんな歌があります。

「おっと、って失敗してもオッケー」
「みんな最初は上手くない、最初からパーフェクトは無理だよ」

何気なく流れている歌ですが、
今の娘にはちょうどいい言葉だなと思いながら、
「完璧に出来ない」と娘が怒っている時には、口ずさんでいます。

ニュージーランドで子どもと暮らしていると、
「できるかどうか」よりも、
「やってみること」や「続けること」が
大切にされている場面が多いように感じます。

うまくできなくても、
途中で止まってしまっても、
それを強く否定されることはあまりありません。

その空気に、
親の私の方が少し救われているのかもしれません。

子どもに「大丈夫だよ」と言いながら、
自分自身はどうだっただろう、と考えることがあります。

ちゃんとできているか、
周りと比べてどうか、
もっと上手くやらなければ、と。

それは今の暮らしの中でも、完全には手放せていないというか、
母になった今でも、日常の節々でなぜか自分に課していたりするように思います。

子どもは、
言葉で教えられることよりも、
日々の空気や、周りの大人の姿から、
少しずつ受け取っていくのだと思います。

だからこそ、
「完璧じゃなくてもいい」と伝えることと同じくらい、
そうやって過ごしている姿を見せることも、
大切なのかもしれません。

うまくできなくても、
そのままで大丈夫。

簡単なようで、
大人にとっても、なかなか難しいことですが、
ここでの暮らしの中で、
少しずつ、そう思える場面が増えてきたように感じます。

娘がこの先、どんなふうに変わっていくのかは分かりませんが、
少なくとも今は、
「できないことがあってもいい」と思える場所で過ごせること。
そんな環境を作るのも、親の役割なのかもしれません。

そう思いながら、今日もまた、同じことを繰り返し伝えています。

子どもの方が先に慣れていくのかもしれない|ニュージーランドで迎える入学前

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こんにちは。現在幼稚園に通う4歳の娘を育てているAyakaです。

娘は4月からNZの小学校に入学します。

最近はその準備で、なんだか家の中が少しバタバタしています。

制服を買ったり、
指定の靴を用意したり、
文房具を注文したり、
入学前説明会に参加したり。

でも、物の準備はまだいいのです。
少し忙しくても、やれば終わることだから。

問題は、もっと目に見えない部分。

新しい環境に、慣れることができるのか。

娘は、幼稚園の送りでもいまだに
「マミー行かないで」と
ドラマのワンシーンのようにしがみついてくるタイプです。

小学校は、幼稚園のように手厚いケアはありません。
一人の先生が見る生徒の人数も増えます。
(それが学校というもので、当たり前だと思っています)

今月から、入学前の訪問、
いわゆる“慣らし”のような時間が始まります。

教室を見たり、先生に会ったり、
少しずつ環境に慣れていくための時間。

その日が近づくにつれて、
私の方が少し落ち着かない気持ちになっています。

でも、こういう時に思い出して心の支えになっているのが、
先輩ママさん達や幼稚園の先生に言われているこの言葉です。

「子どもの方が順応が早い」

もしかしたら、
これは親が心配しているだけで、
子どもの方が先に慣れていくのかもしれない。

友達を見つけたり、
新しい遊びを覚えたり、
いつの間にかその場所を
自分の居場所にしてしまうのかもしれません。

「大丈夫かな」と思っているのは、
たいてい親の方で、
子どもはその少し先を歩いている。

そして、
親はその後ろから、
ゆっくり追いついていく。


まだ始まっていないことを心配しても、
仕方がないのかもしれません。

そう思いながらも、
やっぱり少し(いや、かなり?)心配です。

言葉も、友達も、文化も。
大人が心配していることほど、
子どもは案外すっと受け入れる。

そうであって欲しいな、と願いつつ
母は今日もソワソワと、入学に向けて心の準備をしています。

日本を伝える日|ニュージーランドのJapan Dayで感じたこと

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こんにちは。現在幼稚園に通う4歳の娘を育てているAyakaです。

先日、Japan Dayというイベントへ出かけてきました。
海外に住む日本人が中心となり、日本文化を紹介するイベントです。

会場には、日本にルーツを持つ人だけでなく、
日本文化に興味を持つさまざまな国の人たちが集まっていて、
とてもにぎやかな空気が流れていました。

印象的だったのは、
「日本を懐かしむ場」というよりも、
「日本をどう伝えるか」をそれぞれが考えている場だったこと。

食べもの、遊び、衣装、言葉。
どれも“そのまま持ってくる”というより、
今いる場所に合わせて、少しずつ形を変えながら紹介されていました。

海外で暮らしているからこそ、
日本を外側から見て、
あらためて選び直しているような、そんな雰囲気です。

娘も、この日は浴衣を着て出かけました。
普段の生活ではなかなか着る機会がないので、
最初は少し落ち着かない様子でしたが、
縁日のコーナーに行くと、すぐに表情が変わりました。

ヨーヨー釣りをしたり、
ひもくじをひいたり。(まさかの一等を引き当てた強者)
「日本だから」「海外だから」と区別するというより、
ただ目の前の体験を楽しんでいるように見えました。

ニュージーランドで暮らしていると、
多様な文化の中で過ごす時間が日常になります。

それはとても豊かなことですが、
同時に、
自分たちのルーツに触れる機会を、意識して残しておくこと
大切なのだと感じるようになりました。

どちらか一方を選ぶのではなく、
どちらも生活の中に置いておくというバランスです。

海外で過ごす時間は、
視野を広げてくれます。
価値観の違いに気づかせてくれます。

でも、日本文化に触れる時間は、
「戻る場所がある」という感覚を、
静かに支えてくれるようにも感じます。

それは、
日本にいた頃と同じ形でなくてもよくて、
海外にいる今の私たちなりの距離感でいい。

この日のJapan Dayは、
日本を「守る」場でも、
「強く主張する」場でもなく、
ただ、共有する場所でした。

その空気が、とても心地よくて、
娘が浴衣姿で人の流れに混ざっている様子を見ながら、
こうした時間も、これから大切にしていきたいなと思いました。

海外で暮らす日常の中に、
日本文化が静かに息づいていること。

それもまた、
今の私たちの暮らしの一部です。

何も決めなかった二日間|ニュージーランドで過ごす、力を抜いた週末

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こんにちは。現在幼稚園に通う4歳の娘を育てているAyakaです。

先週末は、なんだか私の気力があまり出ず、
お天気もすっきりしないことを言い訳にして、(もう夏が終わりなのかな?と思うくらい)
予定を入れずにのんびり過ごすことにしました。

どこかへ出かけるでもなく、
特別なイベントがあるわけでもなく、
ただ、家の近くで過ごす二日間。

子どもはというと、
近所で自転車の練習をしたり、
少し疲れたら家に戻ってお絵かきをしたり。

「今日はこれをやろう」と決めたわけではなく、
その時の気分で外に出て、
また戻ってきて、
思い出したように別のことを始める。

大人の私から見ると、
少し散らかったようにも見える時間ですが、
子どもにとっては、それが自然な流れなのだと思います。

私は私で、
子どもの様子を横目で見ながら、
「遊ぼう」と言われたら重い腰をあげ遊び、
本人が一人で集中していればそっとしておく。

何かを教えるわけでもなく、
何かを促すわけでもなく、
「今日はこれでいいかな」と思いながら。

ニュージーランドで子どもと暮らしていると、
こうした“何も起きていない時間”を
そのままにしておくことへのハードルが、
少し低くなる気がします。

日本にいた頃は、
「せっかくの週末だから」
「天気が悪いなら、別のことをしなきゃ」
と、理由を探して何かを詰め込んでいたように思います。

でも、ここでは
気力が出ない日があっても、
何も計画しない週末があっても、
それを失敗のように感じることはあまりありません。

そして案外、印象に残るのは、
こうした静かな時間だったりします。

自転車が少し上手になったことも、
描いた絵の内容も、
あとから見れば小さな変化かもしれません。

それでも、
「今日は何もしなかったね」と微笑み合いながら言える週末があったこと、
親子の時間を取れたことで、十分だったのだと思います。

この国での子育ては、
何かを“させる”よりも、
そのままの時間を“許す”場面が多い。

そうした日常の積み重ねの中に、
ニュージーランドが色々な方に惹かれる理由も、
静かに含まれているように感じます。

ワイタンギデー、マラエの芝生で過ごした時間

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こんにちは。現在幼稚園に通う4歳の娘を育てているAyakaです。

先週末の金曜日、2/6はワイタンギデー(Waitangi Day)で、先住民マオリ族の建国記念日でした。
マラエ(Marae)で一般公開されているイベントがあると聞き、家族で出かけてきました。

マラエは普段限られた人しか入れない、神聖なマオリの集会場や共有地です。
(写真を撮ってもいいですか、と確認して、撮らせていただきました)

初めて訪れるマラエは、少し背筋が伸びるような気持ちと同時に、芝生の広がる空間には、どこか肩の力が抜ける空気がありました。
幅広い年代、いろいろな言語が飛び交っていて、でもその混ざり方がとても自然。

マラエの中に入った娘が一言。

「ここは、マオリのまちなんだよ。」

特別に説明したわけではありません。
幼稚園の中で、日常的にマオリ文化やマオリ語に触れてきているので、
建物の佇まいや、装飾、雰囲気から、自然とそう感じ取ったのだと思います。

“初めての場所”なのに、
“知らない場所”ではない。
その感覚が、子どもの中にもう育っていることに、少し驚きました。

芝生では、
音楽を聴いている人、
寝転がって空を見ている人、
その後ろでは、子どもと一緒にフェイスペイントを楽しんでいる人。

この日のイベントで印象的だったのは、どの民族にも、どの年齢にも、Welcomeであること

特別な知識がなくても、マオリ語が話せなくても、
そこに“居ていい”空気がはっきりとありました。

文化を学ぶ、というよりも、
文化の中に“一緒に居させてもらう”感覚に近かったように思います。


日本にいた頃は、
「ちゃんと理解できているかな」
「説明しないといけないかな」
と、つい大人の側が構えてしまうことが多かった気がします。

でもここでは、
子どもは体で感じ、
大人はその様子を少し離れたところから見ている。

理解は、後からゆっくり追いついてくる。
そんな考え方が、生活の中に自然と組み込まれているように感じます。


こうした“日常の延長にある異文化との距離感”も、
ニュージーランドで暮らす時間の大切な一部だと思います。

特別なイベントに参加しているのに、「いつもの週末」のようでもあった、この日の午後。
娘も楽しく過ごしたようで、良い連休となりました。