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少しずつ慣れる、は一直線じゃない|ニュージーランドの小学校生活

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こんにちは。ニュージーランドで小学校に通い始めた5歳の娘を育てているAyakaです。

小学校が始まってしばらく経った娘。

最初の頃は、拍子抜けするくらい順調でした。

もしかして私が心配しすぎていただけだったのかな。
成長したのかな。嬉しいな。

そう思っていました。

ところが。

1ヶ月経つか経たないかの頃から、
また少し様子が変わりました。

朝、教室で別れようとすると

「行かないで」「ママもここにいて」

としがみついてきます。あの頃の娘、再来です。

ただ、幼稚園と違うのは
「はい、お母さん帰って!」と抱っこで連れて行かれる感じではなく、
素晴らしい距離感で、娘のペースを見ながら対応してくれています。

朝の会が始まっても、私が少し教室に残ることもありました。

娘に興味がありそうなことをさせて気を逸らしたり
周りの子から注目されすぎないように、自然な流れで手を引いてくれたり
先生たちの常にプロフェッショナルな対応に、感謝と感動です。
(こりゃダメだの日は、補助の先生に剥がされていくこともありますが…)

考えてみれば、
娘は同じ幼稚園から進学したお友達がいません。

先生、お友達、環境、全てが、新しいものになりました。

最初の緊張が落ち着いた頃に、
ようやく心細さが出てきたのかもしれません。

でも迎えに行けば、今日の出来事を楽しそうに話してくれる。
学校で覚えたことを教えてくれる。
だから、「学校が嫌」というわけではない。はず。

そこで最近は、迎えに行った後も少し校庭に残って
お友達と遊ぶ時間を意図的に作ってみました。

よく名前が出てくる子のお母さんを探して、
お迎えの時に話しかけてみたりもしました。

実は私は、かなりのインドア派です。
社交的なタイプでもありません。

でも、娘は私のことをよく見抜いているようです。
私が人と関わることを避けていると、
それをちゃんと感じ取っている気がします。

だから最近は意識して、子どもにもママにも話しかけるようにしています。

その効果なのか、
娘自身の頑張りなのか、
あるいはその両方なのか。

ここ数週間で、「行かないで」は少しずつ和らいできたように感じます。

Pepehaの記事を書いた時にも思いましたが、
人は、どこかに属していると感じられることで
安心感が生まれるのかもしれません。

学校も同じ。

教室に慣れることだけではなく、

友達との関係や、先生との関係や、
親のつながりも含めて、

少しずつ居場所になっていく。

慣れるというのは、突然できるようになることではなく、
行ったり来たりしながら進んでいくものなのかもしれません。

だから今日も、

少しだけしがみついて、

少しだけ離れて、

また少し、二人で前に進んでいます。

ありがたいことに、少し学年が上の子達が、良く面倒を見たり遊んでくれているようです。

“ちゃんと整える”より、まず遊ぶ | NZの子どもたちは、小雨なら普通に公園へ行くらしい

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こんにちは。ニュージーランドで小学校に通い始めた5歳の娘を育てているAyakaです。

先日、幼稚園時代のお友達とプレイデートをしました。

この日は朝から、
なんとも微妙なお天気。

晴れているわけでもなく、
かといって本降りでもなく、
小雨が降ったり止んだり。

とりあえず我が家に集合して、
室内遊びからスタートしました。

おままごとをしたり、
お絵描きをしたり。

「今日はこのまま家遊びかな」
と思っていたら、

お友達のママがさらっと一言。

「さ、次は公園行く?」

私:えっ、小雨降ってるけど。
ママ友:うん、小雨じゃん?

そして本当にそのまま公園へ。

すると、いる。

普通に、たくさんいる。

子どもたちが。

しかも、裸足。

芝生を走って、
遊具に登って、
ちょっと濡れて、
また走る。

うちの娘も例に漏れず、
裸足大好きタイプなので、
気づけばいつのまにか靴を脱いでいました。

最初の頃は、

「寒くないの?」
「風邪ひかない?」

と、気になっていたのですが、

ニュージーランドで子育てをしていると、

“外遊びが基本”
“濡れたら着替えればいい”

という感覚に、少しずつこちらが慣れていきます。

多少の雨や泥は、
「遊ばない理由」にはならないらしい。

それよりも、

外で遊ぶこと、
体を動かすこと、
自然の中で過ごすこと。

そちらの方が、
ずっと大事にされているように感じます。

完璧に整えなくても、なんとかなる。

そして子どもは、案外たくましい。

気づけば私も、
「雨なら水だから、多少なら乾くか」
くらいには、図太くなりました。

最初は、「これで大丈夫なの?」
と思っていたことも、

気づけば自分の中で、
少しずつ“普通”になっていきます。

小雨の公園も、
裸足の子どもたちも、

きっと、そういう景色のひとつです。

こちらは秋から冬の季節ですが、子どもたちは半袖。大人はダウンジャケット。

“私の山は○○です”から始まる自己紹介|ニュージーランドのマオリ文化教育

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こんにちは。ニュージーランドで小学校に通い始めた5歳の娘を育てているAyakaです。

小学校が始まってから、
娘は毎日いろいろなことを話してくれるようになりました。

「今日はこれやった!」
「Mrs ⚪︎⚪︎(先生)がハグしてくれた!」
「新しい歌覚えた!」

……と思ったら、

機嫌が悪い日は、「知らなーい」で終わることもありますが(笑)

そんな中で、特に増えたのが、
マオリ語やマオリ文化に関する話です。

正直に言うと、私自身もまだまだ勉強中です。

でも、ニュージーランドで子どもを育てていると、マオリ文化教育は
本当に日常の中に自然に存在しているのだな、と感じます。

近年のニュージーランドでは、先住民であるマオリの文化や言語を、
学校教育の中で大切に継承していこうという流れが強くあります。

「特別な授業」としてももちろんですが、
日常の言葉や歌、挨拶の中に自然にマオリ文化・言語が入っています。

娘も幼稚園の頃から、

簡単なマオリ語の単語、カラキア(karakia:食事や始まりの前に行う祈りのようなもの)、
1〜10までの数え方、歌などを覚えてきました。

最近は、小学校で覚えた自己紹介も披露してくれます。


Ko XX ahau
(私はXXです)

Ko XX Tōku maunga
(私につながる山はXXです)

Ko XX Te Roto
(私につながる湖はXXです)

Ko XX Tōku kura
(私の学校はXXです)


これは、マオリの自己紹介「Pepeha(ペペハ)」につながっています。

Pepehaでは、

自分がどこから来たのか、
どんな自然や土地とつながっているのかを通して、
自分自身を紹介します。

ただ名前や出身地を言うのではなく、

自分を育ててくれた山や川、湖、土地、家族とのつながりを含めて、
「私はこういう人です」と伝える。

その考え方が、とても印象的でした。

ニュージーランドの人気バンド SIX60 の
『Pepeha』という曲にも、こんな歌詞があります。

Ko Mana tōku maunga
Ko Aroha te moana
Ko Whānau tōku waka
Ko au e tū atu nei

「私の山はMana」
「私の海はAroha(愛)」
「家族が私の舟」
「それが、ここに立つ私です」

自然や家族とのつながりの中で、
“自分”を表現しているのがわかります。


海外で子どもを育てる中で、

「どこに属しているのか」
「どんな自然とつながっているのか」

という感覚を持つことは、
実はとても大切なのかもしれない、と感じています。

もちろん、
娘にとってNZ、また、今住んでいるこの場所が
最終的な故郷になるのかは分かりません。

でも、自分を育ててくれる土地や自然を意識する感覚、
それを大事にする文化があることは、
知っていてほしいなと思います。


親子留学というと、

英語教育や海外での生活に目が向きがちですが、

ニュージーランドの学校教育は、
マオリ文化ととても深く結びついています。

そして面白いのは、子どもだけでなく、親も一緒に学んでいくこと。

「知らない文化を、子どもと一緒に知っていく」

そんな時間があるのも、この国の子育ての魅力のひとつなのかもしれません。

心配していたのは、親の方でした|初めてのフル登校の日

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こんにちは。ニュージーランドで5歳の娘を育てているAyakaです。

さて。

慣らし登校も終わり、
幼稚園も卒園し、

いよいよ、小学校初日。

その前には、スクールホリデーが2週間。

せっかく慣れてきたのに、
ここでリセットされないかな、とか

そもそも初日からちゃんと行けるのか、とか
登下校、ちゃんと歩けるのか、とか。

気づけば、親の方がずっと緊張していました。

そして迎えた当日。

いざ学校に着くと、娘は振り返りもせず、

「バイバーイ」と言い、教室内のおもちゃで遊び始めました。

あまりにもあっさりしていて、一瞬、拍子抜け。

でも同時に、

「あ、大丈夫かも」

と、少し肩の力が抜けました。

振り返ってみると、ここまでの間に、
「学校に向けた準備」として
意識していたことがありました。

娘の学校のKāhui Ako(地域の小中高や幼稚園・保育園同士が連携する取り組み)から、
小学校への移行に向けたガイドのようなものがあり、

勇気や好奇心
楽しむ気持ち
うまくいかない時の忍耐
自分の気持ちを自分で伝えること
自分のことを自分でやること
そして、人への思いやり

いわゆる「勉強」ではなく、その前にある土台の部分。

新しいことに挑戦してみること、
うまくいかなくてもやってみること、
人と関わることを楽しむこと。
そういうことを、日常の中で少しずつ積み重ねていく。

これらを支えてあげて欲しいというものでした。

もちろん、すべてが完璧にできていたわけではありません。

でも、少しずつでも「やってみる」経験を重ねてきたことが、
この日の「バイバーイ」につながっていたのかもしれません。

親としては、まだまだ心配は尽きませんが、

子どもは子どものペースで、
ちゃんと進んでいくのだな、と

改めて感じた朝でした。

小学校生活は、まだ始まったばかり。

これからどんな日々になるのか、
少し楽しみでもあり、少しドキドキでもあり。

そんな気持ちで、
最初の一日を見送りました。

「娘の人生にいさせてくれてありがとう」と言われた日|ニュージーランドの幼稚園卒園

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こんにちは。ニュージーランドで5歳の娘を育てているAyakaです。

慣らし登校の3回目は、幼稚園の卒園日でした。

ニュージーランドでは、
5歳になれば、それぞれのタイミングで
小学校へ入学していきます。

日本のように、
みんなで一斉に迎える入学式や、
決まった卒園式はありません。

その代わりに、
それぞれの「卒園のタイミング」で、
個人に向けた小さなセレモニーを
幼稚園の時間の中で行ってくれます。

いつもの幼稚園に、
少しだけ違う空気。

園長先生から渡されたのは、

「がんばりました」とたくさんの文章が書かれた、A4サイズのシンプルな卒園証書。

いわゆる立派な賞状、というよりも、
とてもささやかなものです。

担当の先生からは、これまでの思い出(ラーニングストーリー)の振り返り。

※ラーニングストーリーについて書いた記事はこちら

事前に娘と一緒に、「どれをみんなに話したい?」と話しながら、
内容を決めてくれていたそうです。

そして最後に、
先生たち一人ひとりからのお別れの言葉。

その中で、とても印象に残っている言葉があります。


「Thank you for having us in her life」


直訳すると少し不思議な言い回しですが、

「娘の人生の中に、私たちをいさせてくれてありがとう」

そんな意味合いの言葉です。

幼稚園の先生たちは、
「先生」というよりも、もう一人の保護者のような距離感で、
日々を一緒に過ごしてくれていました。

ただ「子供を預かる」のではなく、
幼児であっても、一人の人として関わってくれていたことが、
この一言に詰まっているように感じます。

小学校への入学は、
ひとつの区切り。

もちろん、子育てはまだまだ続いていきますが、

気がつけば、
あっという間の5年でした。

親子留学や海外での子育てというと、

特別な経験のように見えるかもしれません。

でも実際は、

こうして日々を重ねて、
気づいたら節目を迎えている。

そんな時間の積み重ねなのだと思います。

制服姿で立つ娘を見ながら、

「ここからまた、新しい日常が始まるんだな」

と、少しだけ実感が湧いてきました。

その一歩を、

こんなふうに見送ってもらえたことに、

感謝しかありません。

思っていたより、ゆるく進んでいく入学準備③|ニュージーランドの小学校入学(慣らし登校編)

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

前回までは、思っていたよりゆるく進んでいった入学準備のお話を書きました。
今回は、その続き。いよいよ慣らし登校のことです。

娘の学校では、

  • 週1回・1時間の登校 × 3回
  • ただし3回目だけ2時間目まで

という流れでした。

幼稚園のお友達のママたちに聞いてみると、

「2日続けて2回で、午前中いっぱいだった」
「最後の日は1日まるごとだった」

など、本当に学校によってさまざまなようです。

そして、気になる初日。

以前から読んでくださっている方はご存知かもしれませんが、
娘は1歳から保育園、3歳から幼稚園に通っているにもかかわらず、

いまだに送りの時間になると、

「ママ行かないで」

と、しがみつくタイプです。

先生方にベリベリと剥がされながら登園する、
あのスタイルです。

なので、小学校はどうなることかと思っていました。

ところが、最初の2回は
保護者もその場にいてOKという形でした。

先生いわく、

「子どもの人数に対する大人の比率(ratio)に慣らし登校の子は含まれないので、付き添いが必要なんです」

とのこと。

あとから考えると、たしかにその通り。
(まぁそれも言われてはいなかったので、1時間カフェ行っちゃおうかな♪なんて思っていた私は涙目)

それもあってか、娘は思っていたより順調な滑り出しでした。

気になる授業の内容はというと、

先生が絵本を読んで、
そのストーリーに出てきた順番の並べ替えをしたり、

大きな数字板のようなものを使って、
1から20まで数えたり、
20から1まで戻ってみたり、
「8の次はなーんだ?」とやってみたり。

そして、プリントが終わった子から、
教室の空いているスペースで遊んでOK。

本があったり、
おもちゃがあったり、
先生が粘土を準備したり、

かなり幼稚園に近い雰囲気です。

でも、よく考えれば当然で。

だって、まだ5歳。

担任の先生も、

「この年齢の子どもたちの集中力は10分が限界。
座って何かをする時間も、それくらいが目安です」

と話していました。

だから、学ぶ時間と遊ぶ時間が自然に混ざっている。

そして、

「まずは学校って楽しい場所なんだ、と感じてもらえれば十分です」

という言葉が、とても印象に残っています。


ちなみに、担任の先生は幼児教育(ECE:Early Childhood Education)のバックグラウンドがある先生でした。

ニュージーランドでは、低学年の子どもたちに対して、
“まだ幼児期からの延長線上にある”という視点が、かなり自然に共有されているように感じます。

学校だからといって、いきなりビシッと厳しく切り替えるのではなく、
子どもの発達段階に合わせながら、少しずつ学校生活へ移っていくような印象です。


最後の慣らし登校では、
保護者は教室を離れてOKになりました。

何をしていたのか詳しくは分かりませんが、
帰ってきた娘の様子を見ると、
アルファベットやフォニックスの練習をしていたようです。

そして、前回少し書いた文房具の話。

それぞれ購入したものを持参すると、

ノートやファイルなどは個人用として先生が名前をつけて管理。(大感謝)

鉛筆、色鉛筆、のりなどは、
なんとクラスでシェア。

なるほど、そういうスタイルなんだ。

と、ちょっと新鮮でした。

日本のように、

筆箱を毎日持って行って、
持って帰って、
中身を確認して…

という流れがないのは、
個人的にはかなり楽です。

そんなこんなで、
慣らし登校はあっという間に終了。

慣らし登校はスクールホリデー前に終了したので、
その後ホリデー2週間をはさみ、
新学期からいよいよフル登校です。

2週間も空いたら、
せっかく慣れた気持ちがリセットされないかな…

そんな心配も、少しあります。

でも、きっとそれも含めて、
少しずつ進んでいくのでしょう。

その前に、次は幼稚園の卒園です。

まだ小学校は始まっていないのに、

もうひとつの区切りが、
すぐそこまで来ています。

思っていたより、ゆるく進んでいく入学準備②|ニュージーランドの小学校入学(持ち物と説明会編)

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

今回は、入学に向けた持ち物などの準備や、保護者説明会で言われた印象的なことについて。

正直に言うと、

思っていたより、
やることは多くありませんでした。

というよりも、

「細かく指示されないまま、なんとなく進んでいく」

という感覚の方が近いかもしれません。

学校から言われたのは、

「文房具セットを用意してね」

ということだけ。

それも、学校指定のものがあり、
ウェブサイトからそのまま注文するだけで完了しました。

中身は、鉛筆やノート、色鉛筆など、
ごく一般的なものばかり。

「3回目の慣らし登校の時に持ってきてね」
「それまでに間に合うように買ってね」
「開けないでね」

とだけ言われて、

理由は分からないまま、
とりあえずその通りに準備を進めます。

制服も同じような流れで、

一応指定はあるものの、細かいガイドがあるわけではなく、
これでいいのかな?いいよね?と思いながら
必要なものをそれぞれ揃えていく感じ。

全体を通して、

「これをこうして、次にこれをやって…」

と順番が決まっているというよりも、

「その時に必要なことを、少しずつ」
「学校の決まりを守ることはもちろん重要、でもそれは子どもの健康と安全のためにあるもの」

そんな進み方でした。

慣らし登校の前には、
保護者向けの説明会もありました。

小学校に入るとどんな生活になるのか、
学校として大切にしていることなどの説明がありましたが、

一番印象に残ったのは、先生の言葉でした。

「’学校に入る’ということで、
身構えてしまうかもしれませんが、

子どもたちはまだ発達の途中です。

手を使うことも、
字を書くことも、

体のつくりとして、
まだ上手にできなくて当たり前。
(手の骨の数が大人よりもまだ少ないんだとか。私は知りませんでした)

できたかどうかよりも、
トライしたことを認めてあげてほしい」

と、穏やかに話されていたのが、
とても印象的でした。

“できること”よりも、どんな姿勢で学ぶか。
そんなことを大切にしているのが伝わってきます。

日本との大きな違いとして感じたのは、
給食がないこと。

その代わりに、

・ブレインフード
・モーニングティー
・ランチ

を持たせる必要があります。

いわゆる、軽食とおやつとお昼ごはん。

日本の給食制度を知っている身としては、毎日準備するのはなかなか受け入れ難く…(涙)

これはもう、
少しずつ慣れていくしかなさそうです。

学校からの案内も、

「制服を用意してね」
「食事を持たせてね」

という、シンプルなもの。

細かく決められていない分、少し戸惑うこともありますが、

同時に、

「これでいいのかな」と思いながらでも、
そのまま進めていける、そんな余白も感じています。

親子留学や海外での学校生活というと、
準備が大変そうに感じることもあると思いますが、

少なくとも今のところは、

完璧に揃えなくても、
なんとか進んでいく。

そんな感覚は相変わらず続いています。


そして、

「開けないでね」と言われた文房具の行き先は、

次回の慣らし登校で、
ようやく分かることになりそうです。

その様子もまた、
書いてみようと思います。

思っていたより、ゆるく進んでいく入学準備①|ニュージーランドの小学校入学(書類手続き編)

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

今日は、入学に向けた準備の話を振り返ってみようと思います。

まず最初にやったのは、入学の申し込み。

とりあえずメールをしてみる。
……返事は来ない。

もう一度送る。
……やっぱり来ない。

ということで、最終的には、
「もう持っていこう」
となり、書類をプリントアウトして、直接学校の事務室へ。

結果、5分で終わりました。

その後は、しばらく何の連絡もなく。

こちらから「一応確認なんですが…」とメールをすると、
「(娘)は誕生日の関係で、ターム2からだよ!」
と、あっさり返信。

なるほど、オッケー。

と思っていたら、

その数日後に、「ターム1からの入学について」というメールが届きます。

慣らし保育ならぬ、慣らし入学のスケジュール付き。
しかも開始日は、メール受信の翌週。

え?ええ?EEE?

でも、なんとか予定を調整して、
「大丈夫です」と返信。

するとすぐに、

「ごめん、間違えた。(娘)はターム2からで大丈夫」

と連絡がきて、ここまでで、なんだか一気に疲れました。

が、しかし、こういうところも含めて、この国らしいなと感じます。

入学にあたり提出する書類はいくつかありましたが、

中でも印象に残っているのが、
「健康面」と「発達面」についての項目です。

発達面については、
できる・できないことが良い・悪いという評価ではなく、
「今どんな状態なのかを、学校が知るためのもの」という印象でした。

何が得意で、
何が苦手で、
どんなことが好きで、
どんな時にサポートがあると安心するのか。

特別に良く見せる必要もなく、
かといって構える必要もなく、
ただそのままを書いていくだけ。

ニュージーランドでは、基本的にすべての子どもが同じ教室で学びます。

それは幼稚園の時から始まっていて、
それぞれのペースや個性を尊重した環境の中で、
日々を過ごします。

すべてがきっちり整っているわけではないけれど、
その分、自分も常に完璧じゃなくてもいい。

そんな前提で進んでいくような安心感があります。

ここまでが書類の手続き。
実際の、物の準備や慣らし入学については、また次回で書いてみますね。

4歳半になった頃から、幼稚園で読み書きの練習が本格的に始まりました。
家に持ち帰ってくるので、復習は親がみます。

ママ友との距離が少しずつ近くなってきた|ニュージーランドのスクールホリデー

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

早くもTerm 1が終わり
スクールホリデーが始まりました。

2週間。

母たちの間ではわりと本気で言われている、
“地獄の2週間”です。

正直に言うと、今回はちょっと出遅れました。

「キンディのホリデープログラム、申し込もうかな…」
と頭をよぎったものの、

なんだか仕事も普段の生活もバタバタで、
考える余裕もなく、

気づいたら、ホリデーに突入していました。
(自分の大馬鹿…と思ったのはここだけの話です)

飛行機ごっこ。お客様0人。

とはいえありがたいことに、
お友達とのプレイデートや、
モールでやっているホリデープログラムなどで、
気づけば予定がぽつぽつと埋まってきていて、
なんとかこの2週間、乗り切れそうな気がしています。

もともと私は、かなりのインドアタイプです。
何もないと、ずーっと家にこもっていても平気です。

いわゆるINFPで、自他ともに認める“究極のI”。

だからこそ最初は、
「ママ友と会う(しかも英語)」ということ自体が、
なかなかのハードルでした。

英語でちゃんと話さなきゃ。
失礼なこと言ったらどうしよう。
沈黙になったらどうしよう。

そんなことを考えているうちに、

「じゃあ最初から行かなければいいか」

と、自分でチャンスを閉じてしまっていたこともあります。

でも最近は、
少しだけ感覚が変わってきました。

いい意味で、力が抜けてきたというか。

「まぁいいか」
「なんとかなるでしょ」
「伝わらなかったら、もう一回言えばいいか」

そんなふうに思えるようになってきて、

完璧にやろうとしていた頃よりも、
ずっと楽に、人と関われるようになった気がします。

年齢を重ねて図太くなった、
というのもあると思いますが、

それだけじゃなくて、
この国の空気も大きいのかもしれません。

多少言葉がつたなくても、
会話がちょっと止まっても、

それを気にしすぎる人が、あまりいない。

“ちゃんとしているか”よりも、
“そこにいるかどうか”の方が大事にされているような、

そんな感覚があります。

思い返してみると、

言葉に詰まって、
「あ、気まずいかも」と感じていたあの感じは、

英語(言語)ができないから、というよりも、
ただ単純に、まだ関わる時間が少なくて、
お互いに少しよそよそしかっただけなのかもしれません。

最初はやっぱり緊張しながらでしたが、

同じ人と、少しずつでも何度も会って、
同じ時間を重ねていくうちに、
その“気まずさ”みたいなものは、
気づいたらほとんど感じなくなっていました。

うまく話そうとしなくても、
なんとなく通じるようになって、
言葉よりも、空気や関係の方が先に近くなっていくような感覚。

まだまだ、完璧とは程遠いけれど。

それでも今は、ここでの暮らしが楽しくなってきています。

お客様2人、パイロット0

少しずつ、”ここで暮らす”ということ|ニュージーランドでの子育て

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こんにちは。間もなく小学校入学予定の5歳の娘を育てているAyakaです。

幼稚園のお迎えの時間。

先生と軽く言葉を交わして、
娘が走ってきて、
そのまま仲良しのお友達と合流して、
気がつくとママ同士で世間話が始まっています。

子どもたちは、お互いにお友達の名前を呼びながら遊んでいます。

私も同じように言っているつもりでも、
「それ違う!」と何度も発音を直されて、
最後まで合格はもらえなかったり。(トホホ…)

15時に幼稚園が終わり、ママ同士で盛り上がった日は
そのまま近くのビーチや公園へ行ったりします。
(海の近くに住む者たちとして、海グッズは常に車に積んでいます)

「ちょっとだけ」と言いながら、
気がつけばしばらくそこで過ごして、
子どもたちは水に入ったり、砂で遊んだり、走り回ったり、
好きなように時間を使っています。

大人は少し離れたところで見守りながら、
またゆるく会話を続けている。

そんな午後の過ごし方が、
いつの間にか当たり前になっていました。

こういう時間を過ごしていると、
ふと、「ここで暮らしているんだな」と感じる瞬間があります。

最初から、こうだったわけではありません。

何をどうすればいいのか分からなかったり、
小さなことで戸惑ったり、
「これで合っているのかな」と思いながら進んできました。

特別なことをしたというよりは、
目の前にあることを一つずつ選んで、
その都度、なんとかかんとかやってきただけ。

娘が描いた、幼虫から蝶になるまでの絵。

順番に並んだその変化を見ていると、
「変わる」ということは、
一気に起きるものではないのだな、と感じます。

動いているように見えない時間も、
きっとその一部で、その先につながっている。

今の生活も、その途中なのかもしれません。

親子留学や海外での生活というと、
どこか遠くて特別なもののように感じるかもしれませんが、

実際は、こうした何気ないやりとりや、
少しずつ慣れていく時間の積み重ねの中に、
静かに形になっていくものなのだと思います。

まだ分からないこともありますし、
これからも迷うことはきっとあります。

それでもこうして子どもと一緒に過ごす日々の中で、
気づけば少しずつ、この場所が“自分たちの生活”になっている。

そんな変化に気づくたびに、
無理に頑張らなくても、
ちゃんとここまで来ていたんだなと、
静かに思える瞬間があります。